十月上旬派。各駅停車主義。

20250630


人との交流の目的ではほとんどTwitterを使わなくなっていて、どちらかというとそれこそマイクロブログ的にツイートを読むとか、あるいはもうすこし”情報収集”的な下心を持ってTwitterをみていることが多いように思う。単に「情報」だけを収集できれば苦はないのだが、やはりそこには人間的なノイズが多く含まれるし、基本的にTwitterは人を愚かにするものであるから、眺めていてしんどいことも増えてきた。とはいえ、他人の発信をタダで見ておいてなにが「ノイズ」「しんどい」なのだ、なのであり、これはインターネットの宿命であろうと思う。

似たような話で、Splatoonをやっていると時折いわゆる「煽り」を行うプレイヤーに遭遇することがある。PvPのゲームはほとんどSplatoonくらいしかやったことがないし、おそらくそうした「煽り」はゲーム文化のひとつだと思うので、取り立ててめくじらを立てるようなことでもないと考えるべきとしつつ、毎回、「こういう輩とも連帯して市民社会を作っていかなければいけないのだ」と思う。受け入れがたい隣人はきっと多い、しかしわれわれは連帯しなければならない。

散歩の途中、米津玄師の「地球儀」を聞きながら、宮崎駿が現在のところの遺作においてもっとも多くを託したのはヒミではないだろうかと思った。宮崎駿はいついかなるときも未来を肯定してきたし、それが母の目線を通してなされているように思う。宮崎駿と「母」というモチーフは語られ尽くしているはずなので、どこかで言われているんだろうけど、彼は「母」でありたいのではないか、と考えた。

「母」になりたい男たち、というのは結構いるように思う。土井善晴のこともおれはそのように解釈している。

20250629


関西も梅雨明けしたらしい。自分の住む街も梅雨明け宣言こそされていないのものの、実質的にはほとんど次の季節がきている。

気温があがっていくにつれ、自分自身もまた活動量が上がっていくような気がする。散歩するのも長く歩けるようになる。 時折、いちにちパソコンの前にいる仕事は実は向いていなかったのかもしれない、とも思うけれど、とはいえ、野外で空調のない中仕事ができるほどタフか、というとそんなこともないようであり、もうこの仕事を始めてから5年とか経つのか、と考え、いよいよキャリアの経路依存性が高まってきたような気もし、あと数十年、どういうふうに生計を立てていくのか、どのようなキャリアプランをもっていくのか、ということを考えてはみるものの、とはいえ労働者人生数十年のうちたった数年が過ぎただけであるわけだから、そこから予測できることもそれほど多くはない。

この週末はManusとGithub Copilotをつかって簡単なアプリケーションを作ってみて、わりとそれらしいものができ、そう、自分くらいのエンジニアだったら早晩置き換えられちゃうなーと思わざるをえないのだった。まあでも最近はPMみたいなことをやっているから、そっちはもう少し生き延びれるのだろうか。でも、なにかができていくのを見るのは楽しく、別にコーディングがしたいわけではないな、という気づきはある。

Keycloakを使うなどしてMCPサーバのAuthorizationの一連の流れをデモ実装しておきたいなーと思っていたが、そっちは手をつけられずにいるうちに、Keycloakconで発表があったようだった。資料を読んでトレースくらいしますか。Dynamin Client Registrationなんかもちゃんと実装してあるのはKeycloakすげえなーと、実務では離れてだいぶ経つけど、思います。 しかし、AI Agent業界はこれからもMCPでいくんだろうか。これがデファクトスタンダードになるのか、まだ半信半疑で半身なスタンスでいる。

ひさびさにブログを書いた、あるいは書けたのは佐々木敦『書くことの哲学』(講談社、2025)を読んだからで、本の内容とは関係ないのだけれど、書いてみると、「書く」ことへの執着とか頓着とかそういった独特の傾きみたいなものがまだあるし、それは一生あるんだろうな、と思った。書いている人はかっこいいと思う。そういう趣味判断です。

20250208


最近キーボードが迷走し始めている。しばらくKeychronのAlice配列のやつを使ってて調子がよかったのだけど、年始にMistel Barocco md-600 alphaを買って、分割型キーボードデビューしたところ、やはり謳い文句通り肩が開いて楽は楽であるのだけれど、独立した矢印キーがないのに意外と不便してしまって、いまは持っているキーボードを片っ端から見直す時期に入った。久々に取り出したFEKER-Alice80もなかなかよかったりして困る。売ろうと思ってたんだけど。 NocFree Liteが気になり始めたけど、これはこれで謎のキー配列でもあり。はんだを通ってこない人生だったので、自作にはなかなか手が伸びない。

20250109


新しいキーボードを買ったので試し打ち。人生初の分割式である。慣れるまでは難しそうという感もありつつ、肩は明確に楽。エンジニアになる前からずっと肩こりではあったのでどうだかわからないけれど、日頃積もり積もっている分が少しでも改善してくれるとうれしい。 しかし正月明けであるのがよりいっそうそのように感じさせるのかもしれないが、平日の余暇時間というのは本当にすごい勢いで過ぎていくな。余暇時間があるだけまだずっとよいのかもしれないけれど。

20250108


年始から気持ち朝型になるよう試みている。まだ誰も出勤していない時間帯はやはり、考え込むタイプのタスクに取り組みやすい。夜あがってから時間がとりやすいのもよい。

年末年始にショシャナ・ズボフ『監視資本主義』(東洋経済新報社、2021)を読み始めた。本文が約600ページあり、まずまずのボリューム感ではあるが、センセーショナルな(やや扇動的な、とも言う)書きぶりもあり、読みやすい。ぼつぼつ読んで今日は第一部が終わったところ。第一部では、著者が「監視資本主義」と呼ぶものについての導入と、巨大IT企業——とりわけGoogle——が、それをどのように見いだし、推し進めてきたかが描かれている。検索エンジンが我々の検索履歴を取得していてそれをもとに広告掲載などが行われている、というのはお馴染みの事実であるわけだが、ユーザー行動を把握すべしという行動指針がWeb空間のみならず実空間にまで拡大していく様というのは、改めてみるとGoogleはすごいことやってるな、と両義的な思いを抱く。人間の行動データを把握したくて全世界中にカメラを載せた車を走らせるというのはかなりぶっとんだ発想であり、それをやってのけるのには感心してしまうのだけれど、プライバシー侵害などを訴える反対運動などに対してGoogleが十分回答したとは言いがたい。ストリートビューカーが行きしな周囲の家庭のWi-fiルータにおける暗号化されていない個人情報を収集していた、というようなことが書いてあり、この事件はよく知らなかった。典拠にされているのは以下の資料のよう。 https://s3.amazonaws.com/s3.documentcloud.org/documents/2109044/disconnect-google-antitrust-complaint.pdf

さらにまた、そのストビューカーによる個人情報収集について担当していたエンジニアは、その後Ingressに関連する開発に携わっていた、という記述もあった。ポケモンGOについてはもう少し後で取り上げてくれるらしい。

ここまで、強固な「監視」体制が築かれ、我々の行動の隅々までがプラットフォームによって把握されている、という著者の主張についてはよく飲み込むことができ、またその否定的な意見についても共感できるところは大きい。先もまた楽しみである。 その一方で、我々が行動を把握されることに対して、どうも嫌悪感をわりと広く感じている、というのは面白いポイントだな、と連想した。僕もWebエンジニアのはしくれであり広告が叩き出す収益に寄生して禄を食んでいると言えなくもないのだが、それはそれとしてブラウザによるトラッキングや露骨にターゲティングされた広告に対しては「なんかヤダ」と感じることが多い。直観的にいえばこの嫌悪感はおそらく「蔑ろにされている」と感じることから生まれるように感じる。「個人情報は匿名化して処理されているので~」などといって注意書きでは納得してもらえない、わりとプリミティブな問題がそこにあるのではないだろうか。 そんなことも頭の片隅に置きつつ読み進めていこう。