十月上旬派。各駅停車主義。

20240429


気づけばブログを数ヶ月間放置していた.去年の冬は比較的うまく越えられた気がしてたんだけど,最後のほうでちょっと調子を崩してしまった.やはり人類にも冬眠という選択肢があってもいいんじゃないだろうか?

春,があったかどうか,それには疑わしいところがないではないけれど,気温があがってくると元気がでてきた.演奏会に乗ったりとか,結婚式の準備をしてそれなりに忙しく過ごす.アマチュアで楽器を続けているひとにはいろんなタイプがあり,余暇時間のすべてを注ぎ込んでいるのではないかと思われる人もいれば,(僕のように)趣味のひとつ程度のリソース配分でたまに演奏会に乗ったりする,という人もいる.演奏会ひとつ実施するのも,ある種ルーティンワークの側面はあるとはいえ,それなりに労力を要する.人はなぜそこまでして楽器を演奏し,あまつさえ演奏会というマイルストーンをわざわざ置いて活動するのか.シリアスレジャーの研究を勉強していけば,もう少しわかることが増えるのかもしれない.それはそれとして,アマチュア楽団はおうおうにして熱意のある個人たちによって運営が支えられていたりするもので,なかなかそれは危ういものだとも言えるけれども,その一方でそれはライフワークのようなものなのだ,とも思うようになった.必ずしも演奏のクオリティが高いとは限らないし,聴衆も決して多くはなく,世で評価されることは特にない音楽.それでもそこには色々な人々が集まり,時間をともにする.こうした場をつくり維持すること,これは間違いなく尊いライフワークのあり方のひとつだろう.「世の中」というファクターはライフワークにとって必須のものではない.

一方で,それでもなお,自分自身の嗜好としてはライフワークには「世の中に向けたもの」というベクトルがある,考えていることに気づく.いまさら功名心とかあってもしょうがないけれど,あるものをないことにもできないので,なんらか対世の中的なアウトプットがあるような行動をしていくべきなのだろう.とりあえずもうすこしブログを書く習慣がつくれるとよいな.ポメラが気になる今日この頃.

20240129


家を持ちたいという気持ちが,すこし執着みたいになってしまっていてよくない.SUUMOやHOMESのようなプラットフォームを眺めていると新築/中古問わず住宅のストックは無限ではないにせよ,それなりに選択肢があるもののように見えてくる.時間が経てば市場の状況が変わるだろうということもあって,住宅市場の買い手は即断することができるだけのスピード感と待ちにまわれるだけの忍耐の姿勢の両方をあわせてもっていることが求められる.二つの要素はコンフリクトしやすく,たぶん真剣に向き合うとすごく疲れることになるので,本当に買おうとか建てようとかの腹を括ることができるまでは,ふんわり眺めておくのがよさそうだねえという感じがします.

それはそれとして,いろんな物件情報を眺めているときに思ったこととして,自分が魅力的に感じる物件は庭に木が生えていがちだということがあった.たとえばそれがまとめて開発・造成・分譲された住宅地だったとしても,雑草との付き合いやら落ち葉掃除やらの労力を勘案したとしても外構に土を確保し一本の木を植えるという選択,それは最低限暮らす環境の豊かさを担保する選択だろうと思う.豊かな空間に住みたい.

他方で,環境や空間をよりよくしていきたい,という方向性の一方で,自分の住まい方を考える,ということも十分にやらなければいけない,というようにも思ってきた.それは家への欲望が妄執にならなようにするためでもある.いま暮らしている住まいにはもう数年住んでいるわけだけれども,まだそこでの住まい方に取り組む余地は全然あるし,ちょっとした工夫で住むことの質を変えることだってまだまだできるはずだ.だからもっと,「豊かさ」ーーそれは真であり,美であり,善であるかもしれず,世界性といってもよいと思うのだけれどーーの感覚を磨き,それが到来しうるような隙間を開けておかなければならないな,というのが,寝付かぬときに考えたことであったのだった.しかしそれはそれとして,最近建付けの悪い窓際に防風用の衝立を置いたら部屋の寒気が改善したのだがその衝立がまたまったく美しくなく,これはこれでまったくままならぬものだねえ,とも思います.

20240116


日々なにかしらを考えているようでいて,実際には気を抜くと半自動的な反応の連鎖として生きているような気がする.そのようでありつつ,日記を書くことで多少なにか反省的な意識が生まれる気もする,とひとの日記を読みながら思った.そういう意味では日記というのは記録ではなく叙述なのだ,とやっぱり考える.これはひとつのやり方にすぎないけれど.

よくない疲労感があり,低調な一日だった.仕事をやっていくうえで生産性モンスターになりたいという嗜好は持ち合わせていないものの,ものごとがスムーズに進行しない/進行させられないのはフラストレーティブだと感じる.冷え込んでいるからか,気圧のせい(本当のところは気象病なるものがありうるかよくわからないそうですが)なのか.なんにせよ,ちょっとしたことで調子は崩れてしまう.たいがい脆弱な生き物だなと思う.

堀部安嗣の作品集を図書館から借りてきて読んでいる.図面をちゃんとは読めないので,眺めていると言った方が近いか.文章も頼りにしながら空間の意図を読み解いていくのは面白いし,諸条件に対して,住宅というのはいろいろな解をもちうるものだなあと思う.

botみたいな人間にはなりたくないな,という気持ちがある.ずっと前にマルコフ連鎖の小さいモデルみたいなものを実装して文章を生成させてみたとき以来その気持ちは強くなった気がする.人間らしくあることに大きな価値をおいていて,ある意味それが自分にとっての実存だというふうに思っていて,でも結局こうやって書いている文章も,これまで学習してきた言葉からそれらしい単語をつなぎ合わせているだけなのかもしれなくて,「個」とか「自我」とかもその確率論的重みづけの違いくらいのことかもしれないんだけど,どこかでもっと詩的な形で(超越論的に)実存なりがあってほしいなと思う.これは信仰の問題ですね.なんかもっとワクワクしたり,世界に対して驚いたりしたいし,そういうことができる人間でありたい.これは美的なものに対する構えの話であるような気もするな.世界の前にふと宙づりにされることは,若者だけの特権ではないと思いたい.疲れている気がする.早く寝よう.

20240113


今週から仕事始め.年末の続きの作業をもろもろこなしているうちに,あっという間に一週間が終わる.

結婚式の準備もぼちぼち始まり,結婚式場のシステムに招待客の名簿であったりを入力していく.ほかの結婚式場がどうなのかよくわからないけれど,このシステムがとても使いづらく(新郎と新婦で同時編集ができないとか.わかる,めんどくさいのはわかるんだけど...),フラストレーションがたまる.UIもいまいち行き届いていなくて,めでたそうな金色っぽい,淡めの黄土色を文字色に採用しているのだけれど,それが細めのフォントで表示されるので,background-color: #ffffffに対してものすごくみづらい.これについてはカスタムCSSをあてることにして解決.いまの仕事に就いていてよかったな,と過去一で思った瞬間かもしれない.エンジニアでなくても簡単にできることだし,半分は冗談ですが.

内容と構造と見えが分割されているHTMLの仕組みは便利なものだな,とは改めて思った.印刷物だとこうはいかなくて,だからそれゆえにこそ装丁家の仕事が読者のうけとる情報に対してきわめておおきなプレゼンスを持つことになる.それに対して読者ができるのは,虫眼鏡を使うなり,すこし遠くに本を構えてみることくらいだ.それに比べれば,HTMLはよりhackableなメディウム,読者が手を加えやすいメディウムだということになるだろうか.とはいえHTMLであれば完全にhackableなのかといえば別にそういうこともなく.読者が容易に弄れるのは(弄ってうれしいのは)せいぜい見え(style)についてだけだろう.構造という骨格にあらかじめ担保される限りにおいての自由度だ.書かれた情報が読者に伝達されるそのプロセスにおいて,作り手と読み手がどのような関与を行うのか,そしてその度合いはどうなのか,これらはそれぞれのメディウムで個別の戦いがあるわけで,個々の戦場において個別の読みが現われてくる,としか,最終的には言いようがないのだろう.

20240108


有休も使って年始は長めの連休だったけれど,それも今日で終わり.このブログも,寝かせっぱなしだったドメインを使うようにしたり,hugoのテーマを違うものにやりかえてすこしリニューアルしたり.盆栽みたいなものか.新しい気持ちで,今年はもう少し書いたり,手入れをしたりすることができればよいなと思う.気になるところは色々とあるので,しばらくは飽きずに続けたい.リッチなテーマにしてしまったので,その分しっかりした実のあることを書かなければならないような圧を勝手に感じてしまっている.まあ,のんびりと.

連休最終日の憂鬱を紛らわすようにすこし自転車を漕ぐ.自転車乗りの人はたぶんみんな感じていることだけれど,自転車という乗り物は路面の影響を大きくうける.タイヤが細いほど接地面が限られていくからだろうか.歩いていると意外と気づかないこととして,アスファルトの路面は案外とでこぼこしていることがある.砂利を流し固められているから当然のことといえばそうなのだが,よく見てみるとアスファルトを構成している砂利の一粒の大きさは場所によってだいぶ違うし,粗ければ粗いほど,自転車乗りはその影響を受けることになる.できるだけスムーズに走ろうと思えば,自転車が走りうる狭い道幅のなかでも比較的マシなところを選んでいく必要がある.まるで登山しているときみたいだ.微地形としてのアスファルト.都度行われるルートファインディング.万事が万事そのような具合だ.

年末に内藤廣の展覧会図録を面白く読んだこともあり,最近の読書は内藤の著作を中心に建築関連が多くなる.いまの職場が基本的にリモートワークなこともあり,自宅で過ごす時間はとても長い.人生の長い時間を過ごしそうな空間は自分にとって納得のいくものであってほしいという思いを抱き,家,欲しいよねえという気持ちが高まっている.資本も資金力もないのでまったく空想の域を出ないけれど….とはいえ,自分が自分の過ごす空間に対して何を求めているのかを知ることは,どんな場所で暮らすのであれ意味のあることだと思うので,空想自体はやめないつもり.

世相は年始から辛いことが続いていて,自分自身の生の根拠も揺さぶられるような心持ち.この世界でこの生をどのように生きるべきか,というのはやっぱり非常に重要な問いだ.自分の有限性を色々な面で感じ始める三十路の年明けであることだよ.