十月上旬派。各駅停車主義。

20240108


有休も使って年始は長めの連休だったけれど,それも今日で終わり.このブログも,寝かせっぱなしだったドメインを使うようにしたり,hugoのテーマを違うものにやりかえてすこしリニューアルしたり.盆栽みたいなものか.新しい気持ちで,今年はもう少し書いたり,手入れをしたりすることができればよいなと思う.気になるところは色々とあるので,しばらくは飽きずに続けたい.リッチなテーマにしてしまったので,その分しっかりした実のあることを書かなければならないような圧を勝手に感じてしまっている.まあ,のんびりと.

連休最終日の憂鬱を紛らわすようにすこし自転車を漕ぐ.自転車乗りの人はたぶんみんな感じていることだけれど,自転車という乗り物は路面の影響を大きくうける.タイヤが細いほど接地面が限られていくからだろうか.歩いていると意外と気づかないこととして,アスファルトの路面は案外とでこぼこしていることがある.砂利を流し固められているから当然のことといえばそうなのだが,よく見てみるとアスファルトを構成している砂利の一粒の大きさは場所によってだいぶ違うし,粗ければ粗いほど,自転車乗りはその影響を受けることになる.できるだけスムーズに走ろうと思えば,自転車が走りうる狭い道幅のなかでも比較的マシなところを選んでいく必要がある.まるで登山しているときみたいだ.微地形としてのアスファルト.都度行われるルートファインディング.万事が万事そのような具合だ.

年末に内藤廣の展覧会図録を面白く読んだこともあり,最近の読書は内藤の著作を中心に建築関連が多くなる.いまの職場が基本的にリモートワークなこともあり,自宅で過ごす時間はとても長い.人生の長い時間を過ごしそうな空間は自分にとって納得のいくものであってほしいという思いを抱き,家,欲しいよねえという気持ちが高まっている.資本も資金力もないのでまったく空想の域を出ないけれど….とはいえ,自分が自分の過ごす空間に対して何を求めているのかを知ることは,どんな場所で暮らすのであれ意味のあることだと思うので,空想自体はやめないつもり.

世相は年始から辛いことが続いていて,自分自身の生の根拠も揺さぶられるような心持ち.この世界でこの生をどのように生きるべきか,というのはやっぱり非常に重要な問いだ.自分の有限性を色々な面で感じ始める三十路の年明けであることだよ.

落合恵美子『近代家族の曲がり角』(角川書店,平成十二年)


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ジェリー・Z・ミュラー,松本裕訳『測りすぎ なぜパフォーマンス評価は失敗するのか』(みすず書房,2019)


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Yeah I'm an engineer, but what engineering is?

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ブログのお引越し. Github Pages でホストされているけれど, 技術っぽいこともそうでないことも全部ひっくるめて書くと思う.

働き始めて3年目になって, 自分があと何十年ものあいだ少なくない時間を働くことに費やすのだということの現実感のなさ, そして全貌が見えないからこそのその途方もない長さのことを改めて感じるようになった. 働くことを自分の生の中でどのように位置づければよいか, はいまでも随分迷っていて, でも最近は, せめてそうして過ごす時間が自分が善と思うものに資するもので, かつ自分にとって幸福なものだとよいな, というようなことを思っている.

学部時代に第三の社会運動の文脈でソーシャリー・エンゲイジド・アートに関心をもったのも, 大学院で荒川+ギンズについて研究したのも, その理由の一つには, 彼らの営みが世界や社会に働きかけ, 世界や社会を変えようとしたものだったということがある. この世界はまったくもって完璧な場所ではない. ぼくたちは薄氷の上を歩くようにしてぼくたち自身の脆弱な生を生きている. そこには不安があり, 怒りがある. 悲しみがあり, 絶望がある. しかしその一方でぼくたちは, 幸福な瞬間というものが確かにあり, よろこびがぼくたちの元を訪れることがあること, その素晴らしさのことを知ってもいる. だからぼくは, この世界でより多くの人がより多くのよろこびと出会うことができるようにするために働きたいと感じている. 大上段に振りかぶった言い方をすれば, 世界をもっと幸福な場所にするために働きたい, ということになる. それが「自分が善と思うものに資する」ということだと今のところ考えている.

そういう意味では, 今やっているエンジニアという仕事も学生時代から関心を持って勉強していることがらとは無関係のように見えて実際には根っこのところでつながっているのだ, と思う. 何かを作って, 世界を(ちょっぴりでも)変えていきたい.