20250716
ふつう金槌の頭を持って柄の方で釘を打ちたい人は多くないだろうと思う。道具にはその道具なりの使い方がある。
これは単純化した例え話ではあるが、なんらかの道具ーーそれはたとえば標準化された仕様かもしれないし、分析フレームワークなどかもしれないーーを使うときに、その道具本来の想定から外れた用いられ方をする、ということはよく見る。それらの「道具」そのものに余地・余白・遊びがプリセットされているのであれば、それを正当化する道もあるだろうが、しばしば名前だけ借りた別物に成り果てているということもある。頭のついていない金槌はさすがに金槌とは言えないだろうし、虫眼鏡のレンズがひしゃげているのであれば、それが像を結ぶことはないだろう。こういうことにいちいち目くじらを立てたくなるけれど、そもそも概念と含意についてどれだけのこだわり(固執ともいう)を持つのか、というところが人によっても異なるし、そもそもそこで実際に意味しようと欲されていたのは金槌ではなくバールであったというような場合もあって、気にするだけ損をするのかもしれない、と思うし、あるいは、自分はただ正しい使い方の名の下に人を殴りたいだけではないか、という感じもある。人を殴ることはあまり建設的でないし、殴り返されることを覚悟する必要もある。 こういうとき、やはり概念が捻じ曲げられることには強く拒否感を感じるものの、それに対して違和感を表明するとともに軟着陸するソフトスキルが足りてないな、と思う。伸び代。