20250730
仕事をあがってから2時間くらい歩いたり走ったりした。歩いたりできる距離なのだから基本近所と言って差し支えないのだが、近所であっても知らない道というのはかなりあり、さらに住宅街というのは道が入り組んでいるわけなので、遠回りしてみようと思い立って数時間歩くというのはいくらでもできるわけだ。歩いている間は夜の果てまでだって歩いていこうという元気さが湧いてくる。最近の昼間は常軌を逸しているとはいえ、しかし、昼間ひたすら机でPCを触っているのは、なんか間違えてるんじゃないか、という気持ちにはしばしばなる。とはいえ、だからといって肉体的なタフさが求められる職種で自分がやっていけるのかというと大きな疑問ではある。最近の散歩ではよくスリープオーバーラジオを聞いている。
仕事で資料やドキュメントを作成する場合、ある一定の型とか枠に収まっているものであれば八割方OKとみなされるんだな、ということが最近わかってきた。これは資料というのは驚くべきほど読まれないということを示しているとも言えるし、そういった「型」や「枠」が中身について一定の妥当性を保証する(「ロジック」が通っている、とか)ということかもしれないし、あるいは「理解」という現象そのものがそれらの「型」ありきの現象なのだ、という可能性もある。
他人の作成した資料を見てそう思ったのであり、自分はまだ一向に「型」を体得するにいたらない。社会人何年目でしたっけ。低山の藪を漕いでいるような仕事がずっと続いて疲れてきたけれど、山の豊かさは自分の知識と感覚の程度で決まるものでもある。修行。
修行とか言って労働にそんなにコミットメントしたいんでしたっけという話は常にあるが、一度修行が必要な状態になってしまったならば以降はすべて修行なんだろうな、という気もする。修行というのはつまり、自分の能力の足らないところを突きつけられ続けるということで、あとは修行の方向性が自分に向いているかどうか。ぼちぼちつつがなく暮らせているだけで御の字という話もあり、現時点ではもう少し頑張りましょうというところか。