AIはまだオムツを換えてくれるわけではない。
Twitterの観測範囲の中で、近い時期に親になった人を複数見かけた。みな少しずつ書いていることに重なりがあり、もちろん自分の育児とも共通したところがあって、子ども、とくに新生児や乳児を育てるという経験は個別的なものでありながらも、どこか普遍的に共有されるのだな、と思った。これはその段階の子どもがまだ未熟であり、生きものとしてシンプルだから、ということでもあるのだろう。
またともすれば育児を通じて社会において比較的広く共有された経験––と今では言えなさそうでもあるが––に自分が接続されていくようでもあり、育児小説や育児エッセイで書かれていたことがらを「ああ、こういうことか」と追体験するような瞬間や、いくつかのアイデアや場面に対してひどく凡庸に「改めて気付かされた」と言いたくなるようなときが多々ある。とはいえ、それぞれの子どもがそれぞれの仕方で個別な存在であるように、我が子もまたひとつの個別な存在であるのだから、瞬間ごとの生のきらめきについて、そのたびごとにただ一つの世界の始まりを見届けることをこそ親として努めるべきなのだろう、と今のところは思っている。
かっこつけすぎかもね。