まだ育休中であるからゴールデンウィークが来てもああそうかというくらいのものだが、道、店、街、公園が混んだりしていて社会のダイナミズムを感じる。

子どもは日々成長している。昨日できなかったことが急に今日できているということがままあり、そもそもできることが少ないのだから伸び代しかないわけだけれど、それにしても学習というものの神秘を感じる。逆に、昨日なぜか何の気なしにできていたことが今日はできないということもあって、これも行動が定着するということの不思議を感じさせる。うまく効く寝かしつけの方法も微妙に変わってきたし、喜んでくれるあやし方や、生活リズムなども日々変化があり、ようやく親であることに慣れてきたかと思えば、暗中模索し続けている。

本やWebサイト、それにGeminiなどに頼りながら育児知識を仕入れていて、いろいろな方針や考え方、how toが存在することを受け止めつつ、じゃあ最終的にどのような育てかたをしていくのか、は、やはり親の思うところ次第なのであって、無限に存在する情報のうち自分が消化できたものでやっていくしかない。ベストは尽くしたいけれど、何がベストかは到底わからず、親のリソースも有限であるから、ある程度のところから先は憂いたところでしょうがない、と切断するしかない。こればかりは保健師や助産師、小児科医、その他児童の成長・養育に関連するプロ達に判断を投げるわけにもいかない。なるべくよく考えていい感じにするから、頼む、元気に育ってくれ。

とはいえ別にこの状況自体は育児に限ったことではない。人間ひとりが把握できることなどたかが知れている。完全な情報を収集・消化しきったうえで何かができることなどほとんどない。何かを選択する/判断する場面の裏には、知りえなかったものの切断がある。典型的には進路選択や引っ越し、選挙、今日の献立だってもしかするとそうかもしれない。選択の前に極力知ろうとすることがまずもって求められる態度だろうが、あとはどこで線を引くかで、ここは個々人のスタンスと場面ごとの諦めと思い切り次第となり、自分の意思に対して誠実であることに重みは移動していく。

それでは、誠実さと誠実さが衝突するときどうすればいいのか…?というのが社会というものの本領であり、子どもを育てていく上でいやおうなくそうした社会に参入していくのでもあり、伝え聞くところに対しては既にしてうんざりして思わずどよんとしてしまうが、今はまだ先のことと切断してしまうのがとりあえずはよいだろう。