子どものおむつを換えることをオムツ・チェンジ略して「オムチェン」と呼んでいたが、そうこうしているうちにターフではロブチェンが三冠馬になりそうな勢いである。無事に夏を越してほしいと思う。
セザンヌのお勉強としてとりあえず岩波・世界の美術のメアリー・トンプキンズ・ルイス/宮崎克己訳『セザンヌ』は読んだ。19世紀と20世紀の蝶番というのが美術史における基本的な了解になりそう。 ほか、セザンヌ論としてはRichard Schiffの"Cezanne and the End of Impressionism" (Chicago University Press, 1984)をまず抑えておかなければいけないっぽいのだが、これは邦訳なし。あとはマイヤー・シャピロ『セザンヌ』(美術出版社, 1991)があったり、グリーンバーグのセザンヌ論があったり。後者はいつか読んだはずだけど全然覚えてないな、読み直してみなきゃ。
それから、全然話は変わるけど、元永定正の絵本について興味が湧いてすこし調べ始めた。日本美術オーラルヒストリーアーカイブによる元永へのインタビューが公開されている^1が、ここで元永とそのパートナー中辻悦子が答えるには、ラボ教育センターというところから子ども向け英語テキストの絵が依頼されたのがそのはじまりのきっかけらしい。『ポワン・ホワンけのくもたち』とのこと。これはらくだ・こぶに=当時ラボ教育センターで開発部長などをやっていた谷川雁の文を英語に翻訳したものに、絵をつけるような仕事だったらしい。のちに『もこ もこもこ』などをともに制作する谷川俊太郎とはそれ以前からうっすら知りあいであったものの、俊太郎から絵本制作に誘われたのはラボ教育センターの仕事の後のようだ。
80年代からは『ころ ころ ころ』(1984)をはじめとして福音館書店を中心に多くの作品を出版しているようだ。その中には谷川と組んだものもある。
元永・中辻の絵本にフォーカスした展覧会も何度か行われているようで、これは図録を見てみたいところ。
元永が絵本を制作しはじめるきっかけとなったラボ教育センター自体は現在も存続しているようだ^2。Wikipediaを見ると沿革もいろいろあった模様。谷川雁のこともよく知らんな、と思ったので、松本輝夫『谷川 雁 永久工作者の言霊』(平凡社, 2014)を図書館で借りて読んでみた。学生時代に谷川と出会い、ラボ教育センターに長年勤めた著者による評伝で、クオリティ自体はいまいちだったが−−雁の兄が谷川健一で、健一と平凡社との関わりが深かったので平凡社新書としてぎりぎり出せたのではないか、とさえ思う−−エピソードが多く記述されていた点はよかった。なんとなく「昔はかっこよかったのにナア」という愛憎が感じられ、記述対象との距離感が近づいたり遠ざかったりして面白かったな。
谷川雁は口もうまいし筆も立つが、人間性には問題があったのだろう、というのが読後の感想。「サークル村」のターニング・ポイントとなった事件については森崎和江のほうがまっとうであろうと思うし、同書に書かれていたラボ教育センター時代の谷川についての恨み節を読んでも、昭和的むちゃくちゃだなあと思わされる。このあたりはもう少し読んでおこうと思って、荒木優太『サークル有害論』(集英社, 2023)を予約した。
谷川雁『原点が存在する』(講談社, 2009)も同時に借りてパラパラめくったものの、時代性が強く、今の自分のクライテリアでもって価値判断を行うのは難しいな、というのが正直なところ。上で言語運用がうまいだけの小人物というような書き方をしたけれども、医者の子・インテリの出でありながら、労働者・民衆の側に立とうとしていた、というのは確かであろう、とは思った。直接関係はない話だが、ある意味ここで構想されたような「民衆」を組織することに現代でもっとも成功しているのが参政党なんだろうとも今思った。ちゃんとオルグしてますか、ということ。
それにしても、教育は左翼の見果てぬ夢になりがちだ。左翼は未来を指向するし、未来は次世代の人々によってつくられる。ならば、教育を重視するのは道理ではある。とはいえしかし、その未来というのは教育者たちの未来でもあるが、それ以上に次世代の子供たちの未来であり、未来を決めるのはその時代の人々である。
そうしてみると元永の絵本はあっけらかんとしていて押しつけがましいところがなく、それゆえに長く版を重ねているのだろうか、などと思う。